心理カウンセラー
小澤昌子(おざわまさこ)
8月生まれ
東京出身
離婚歴あり/独身・子どもなし
<好きなもの>
海、パンダ、かご編み、音楽ライブ、
友達と美味しいものを食べること
ご挨拶とカウンセリングポリシー
こんにちは。
心理カウンセラーの小澤昌子です。
このページを訪れてくださり、
ありがとうございます。
私は30歳のときから
企業の人事や人材ビジネスの業界で
60歳まで30年間、
人に関わる仕事をしてきました。
その間には
結婚や離婚の悩み、
子供を持つ、持たないの葛藤、
1人で働いて生活を維持していくこと
歳を重ねてからの恋愛など
孤独感や不安感を持ちながら
なんとかがんばって生きてきたのですが
40代後半からは
「もう時間がない」
「もう体力がない」
「もう人生おしまいだ」
という気持ちになるようなことが続いて
そのまま50代に突入してしまいました。
もうおしまいだと思った50代ですが
そこから心理学の勉強を始めて
今までの苦しかった出来事も悩んだことも
まったく無駄ではなかったと感じ、
それまでとはまったく違った感覚で
自分の生き方を見直すことができました。
それはまるで
もう一度新しく人生を始めたような感覚でした。
『心が変われば、
いつからでも人生は変えられる』
ということを体験したのです。
「こうあらねばならない」とか
「もう何もない」とか
そんな束縛は意外と自分で作っていたりします。
何歳からでも
いつからでも
自分の価値は自分で決めて良い。
人と比べなくていい。
自分で自分を愛そう。
自由に生きよう。
そう思えるようになると
ひとりぼっちだと思っていた自分に
愛してくれる人がいることに気がついたり
応援してくれる仲間ができたり
自分にもまだまだできることがある
と感じられたりします。
それはまるで奇跡の発見のような
素晴らしい体験で
そこから人生は
明るく楽しいものに変わりました。
がんばって人を愛しているのに
がんばって働いているのに
なぜかうまくいかない。
そんな方は
がんばるエネルギーを違う方向に使うことで
もっと自由に自分らしく生きられる
そう信じています。
ただ
長年自分が保ってきたマインドを変えること
というのは、意外と勇気がいるもので
1人では難しいものです。
そのためにカウンセラーがいます。
私にそのお手伝いをさせていただけたら
心から嬉しく思います。
1人でがんばるのではなくて
一緒に手を取り合いながら幸せになる
そんな選択をしてみませんか?
自己紹介
~行き止まりと感じてから、どうやって人生を変えたのか~
安心してカウンセリングを受けていただくために
自己紹介をさせていただきます。
40代後半から
だんだん自分の人生を振り返るようになり
「がんばったのに全部失敗だ!」
と思ったところから
カウンセリングに出会いました。
私自身がカウンセリングを受けて
自分がどういう思い込みを持っていて
それをどう変えたら幸せになれるのか?
それを知るところから
新しい人生が始まりました。
私の人生が少しでも
あなたのご参考になれば幸いです。
子供のころ~大人の顔色をうかがう~
私の両親は教育者で共稼ぎでした。
私の幼い頃といえば、
もう60年くらい前ですから
当時は育児休暇も託児所もない頃です。
母は私をご近所さんに預けて出勤していました。
どの家にもその家のルールがあり
私は行く先々で、
その家のルールに従いました。
父は厳格で、
ときどきゲンコツも飛んできました。
母は繊細で、
すぐに傷ついて泣いたりして
私は子供の頃から母の愚痴を聞いていました。
そうすると
私はよその家のルールに従ったり
親に叱られたり、泣かれたりしないように
大人の顔色をそっとうかがう子供でした。
いつも良い子でいなくてはならない。
なんでも1人でできなくてはならない。
誰にも私の気持ちはわからない。
そう思い込んでいました。
私が幼稚園のとき
産まれてはじめて
糸と針を使ってぬいぐるみを作りました。
要らなくなったタオルのハンカチを使って
何度も指を刺しながら一生懸命作ったのは
うさぎのつもりだったのですが
足が2本で左右の耳の長さが違う
とても不格好なぬいぐるみでした。
でもそれは
母へのお誕生日のプレゼントでした。
子供の私は
お母さんはどんなに喜んでくれるだろう
褒めてくれるだろう
と思いました。
プレゼントした時のことは記憶にないのですが
そのぬいぐるみが翌日
部屋のゴミ箱に捨てられているのを見つけました。
そのころから
私のマインドにはもうひとつ
「私は愛されない人間なんだ」
ということも加わりました。
離婚~女性としての人生を否定してしまう~
大学を卒業し、普通に就職し
20代前半で結婚して、
30代後半で離婚しました。
結婚したら当たり前に妊娠して
お母さんになるものだと思っていました。
ところがお母さんになれませんでした。
病院にも行ったけれど
やっぱりなれませんでした。
まず夫の協力が得られなかったところで
もう挫折でした。
そのころは
電車で小さい子供を見るのも辛くて
車両を換えてしまうくらいでした。
子供のことだけでなく
離婚の原因はいろいろありますが
決断するまで5年間、
誰にも相談できずに悩みました。
今思うと、
5年間は長くてもったいなかったと思います。
そして37歳で小さなアパートに引っ越して
1人暮らしを始めました。
その時
心に決めてしまったことがあります。
もう女性としての人生はないから
これからは男性として生きていこう
心を強く硬く閉ざして
仕事で成功しよう。
子供の頃からのマインドに加えて
そう心に誓ってしまったのです。
その誓いは47歳でハードワークに倒れるまで
続きました。
その間、何人かの男性と出会いましたが
女性としての自分を否定したままでしたから
まったくうまくいきませんでした。
ハードワークから鬱に~人生崩壊したと感じる~
仕事で成功しなければ私の人生は失敗だ
そう思って働きました。
そういう思いはある程度までは成功します。
大企業の管理職になり
部下が大勢いる時期もありました。
ところが
会社の合併や人間関係や毎日続く残業に
身も心もぼろぼろになってしまいました。
誰もいない高層ビルにたった1人
真っ暗な廊下におびえながら
深夜までの残業が続いて
吐き気をこらえて仕事をしました。
当然、ドクターストップが繰り返されました。
それでも
しがみつかなければだめだと思っていました。
薬を飲んで眠り、
ある朝、会社の携帯が鳴っていて
やっと目を開けると
床にホコリが積もっているのが見えました。
「掃除しなくちゃ。会社に行かなくちゃ。」
そう思ったのですが
もう起き上がることができませんでした。
そのとき
「私の人生終わった」と思いました。
そうして、その会社を辞めることにしました。
親の介護~わかりあえたと思えないままの別れ~
小さな会社に転職できて
ほっとしたのもつかの間
両親ともに次々と別々の難病に倒れました。
弟と義妹と私の3人シフトで
夜を通しての介護の日々が始まったのです。
あんなに強い存在だった親が
オムツをして寝たきりになるなんて
思ってもいませんでした。
ずっとお互いに心の距離がある関係だったのに
日常の会話もおぼつかなくなりました。
親の介護というものは
心身ともに辛いと同時に
生きること、老いること、死ぬことの意味を
改めて考えなくてはなりませんでした。
2年の介護ののち
私は愛されたという思いがないままに
両親は相次いで亡くなってしまいました。
その喪失感は思っていたよりも大きくて
親の顔色を見て生きてきた私は
これから何を見て生きていけばいいのか
わからなくなってしまいました。
そんなときに
もう50歳になっていましたが
優しい男性と出会いました。
50代の失恋~行き止まりに突き当たる~
人生最後の恋愛だと思った思いは
あっという間に打ち砕かれました。
彼にはほかに複数の女性がいることが
発覚したのです。
そこで私がいちばん苦しかったことは
私はやっぱり愛されない人間なんだ
という思いでした。
そしてそれを受け入れることが苦しくて
すぐには別れずに
なんとか愛してもらえないか
あれこれ努力してみました。
そんな自分はとてもみじめで
生きていても価値のない存在に思えました。
それでもまだ生きていかなくてはならないので
どうしたらいいかまったくわからず
行き止まりに突き当たったような気持ちでした。
そこで初めて
自分1人でがんばっても、もうだめだ
誰かの助けを借りるしかない
と思えたのです。
そうして
カウンセリングに出会いました。
カウンセリングに出会い、新しい人生に出会う
カウンセリングでは
自分の話をたくさん聞いてもらい
セラピーで美しい光景をイメージしたり
宿題で自分について考えたりしました。
なるほど!と思うことが
たくさんありました。
人の心はコントロールできない
でも、自分の心は自分が変えられるんだ
と知りました。
そして、心が変わると
本当に人生も変わるんだ
ということがわかりました。
心というものは、目に見えないけれど
実は大きなエネルギーを持ったもので
心を歓びで満たして何かをするとき
それは素晴らしいパワーを発揮して
人生を輝かせることができます。
それを
私には価値がないのだから
努力しなくてはならない、とか
私は愛されないのだから
良い気になってはいけない、とか
思い込みで自分を縛り、
本当の自分を押し込めていたなと思いました。
自分の心を自由に開放してあげよう
もうないと思っていた選択肢だって
まだあるはずだ
もっとたくさんの感じ方だってきっとある
世の中にはまだ美しいものがたくさんある
と感じました。
そして
不安なときには助け合い、
楽しいときには一緒に楽しんでくれる人が
いないと思っていただけで
本当はいたんだということにも
気が付きました。
そうしているうちに
本格的に心の勉強をすることが楽しくなり
いつの間にか自分が
カウンセラーになっていました。
私は今、
自分がとても幸せだと思っています。
すべての苦しみには意味があり
私の場合はカウンセリングに出会うための
道のりだったんだと思います。
自分には価値がないのではなくて
自分の価値は自分で決めて良かったのです。
男性として生きるんだと決意なんかしなくても
仲間と助け合って仕事をすることもできるし
60歳過ぎたって、
まだ女性として生きています。
これからだって何歳になろうが女性です。
自分の子供は持てなかったけれど
今はどの子供も可愛く思えます。
友達の赤ちゃんを抱かせてもらうと愛おしくて
世界が平和でありますようにと
祈らざるをえません。
わかりあえないままの親との別れは辛かったけれど
亡くなった後でも心を通わせることはできます。
今でもよく心の中で母と会話します。
会話の中で母はいつも笑って私に
「しょうがないわねえ」と言います。
これからもまだやりたいことがあります。
60代半ばの今でも
これからもっと大好きな海に行ったり
推しを追いかけてコンサートにも行きたいし
友達と美味しいお酒を飲みたいし
カウンセリングももっとしたい!と
わくわくしています。
私が変われたのだから、
あなたもきっとできます。
今はひとりぼっちだと思って寂しくても
恋をしたり、家族を持ったり
友達を増やすことだってできるし
もしかしたら1人でも
とても楽しく暮らすことだってできるのです。
家族のつながりが感じられなくて苦しんでいても
家族とまた新しい関係を持つことだってできるし
仕事がうまくいかない、
人間関係が辛いと思っても
全然違う価値観を見つけて
まったく新しい人生を生きることだって
あなたが心からしたいと思ったらできるのです。
1人ではできないと思ったら
私がお手伝いをします。
自分には無理と思わずに
勇気を出して、一緒にやってみましょう。
そうしてあなたも
心が変われば世界が変わるということを体験して
「新しい人生ってあるんだね!」
と一緒に笑いましょう。