先日、友人と神戸に行きました。
私は20代の結婚していたころ
2年間ほど夫と神戸に
住んでいたことがあります。
それはまだ震災の前でしたので
震災後に初めて訪れたわけです。
もう40年も経ったし
震災もあったのに
地図をまったく見なくても
身体が道を憶えていました。
懐かしい人に連絡できない
それはとても不思議な感覚でした。
あの頃、自分は20代で結婚していて
仕事を探しながら
誰も知り合いのいない町に来て
これからここで暮らしていかなくちゃ
と思っていたのに
突然60代の自分が
同じ場所に立っている感じでした。
町は見事に復興してにぎわっていて
たくさんの若い人たちで
あふれていました。
古い港町の異国情緒みたいなものは
無くなってしまっていたけれど
街並みや道筋は
昔以上に華やかになっていて
外国人旅行客もたくさんいました。
その中にぽつんと立って
心に浮かんできたのは
「あの人どうしているだろう?」
ということでした。
知り合いのいなかった私が
この町で知り合った人たち。
アンティークの雑貨をたくさん飾った
素敵なカフェのマダム。
中華街でいつもお父さんの店を手伝っていた
野球好きの男の子。
アルバイトでお世話になった
レコード店のご家族。
よくうちにご飯を食べに来た
ひとなつこい近所の中学生。
震災のときには
私は東京にいたので
安否の確認をしたときまでは
つながりがあったのに。
私が離婚してしまったときから
連絡は途絶えてしまいました。
なぜなら
その人たちは
夫と共通の人間関係だったから。
よほど個人的なつながりが強くなっていれば
そんなことはなかったのかもしれませんが
”家族ぐるみ”というおつきあいだと
離婚した後に
「お元気ですか~?」とは
言いずらいものがありました。
もしかしたら
離婚したこともご存知ないかもしれません。
罪悪感には2種類ある
考えたら他にも
離婚後に途切れてしまった人間関係
というのはあります。
夫側のご親戚で
とても良くしてくださったおじさんにも
ご挨拶に行くわけにもいかず
実は私は夫のお母さんと仲良しで
大好きだったのですが
どんなに悲しい思いをさせたかと思うと
思い出すたびに心が痛みました。
それからお祝いをくれた人たちも
せっかくお祝いしてくれたのに
ごめんなさい。
結婚式に出てくれた人たちにも
ごめんなさい。
離婚したことを実家に報告したときも
両親にごめんなさい。
そう考えると
離婚した後はあっちにもこっちにも
「ごめんなさい」
とばっかり思っていました。
いちばん悲しいのは自分なのに。
「ごめんなさい」というのは
罪悪感の象徴的な言葉なのですが
心理学で言うところの罪悪感には
2つの種類があります。
1つは
「悪いことをしました、ごめんなさい」と
もう1つは
「やるべきことをしませんでした、
ごめんなさい」
というものです。
人が感じる罪悪感で多いのは
後者のほうだと言われています。
離婚後の「ごめんなさい」も後者のほうで
みんなが幸せになるように
祈ってくれたのに
期待に応えられなくてごめんなさい
ということだったようです。
そして
「ごめんなさい」と感じると
人は自分を隠したくなります。
こんな自分は見せられない
というかのように自己評価も下がります。
そうすると
とれたはずの連絡も取れなくなるのです。
「ごめんなさい」は少しで大丈夫
離婚した後の私は
特に自分を粗末に扱っていたと思います。
ごめんなさいを振り払うように
ハードワークに没頭することも
大事にしてくれない相手と
おつきあいすることも
決して自分を大切にする行為とは
言えませんでした。
こうやって
罪悪感というのは
人が幸せになることを邪魔します。
今思うと
あんなにたくさんの量のごめんなさいは
要らなかったなあ!!
と思います。
その時は
毎日の生活を立て直すことで
頭がいっぱいで
自分がそんなに罪悪感を抱えているとは
気が付きませんでした。
罪悪感というのは実に巧妙に
静かに人の幸せを邪魔するのです。
離婚というのはもちろん
人にお勧めできるようなことではないけれど
不幸になるためではなくて
もっと幸せになるためにやり直す
ということなのですから
そして
人間は生きていたら
思い通りにならないことや
変わることもあるのだから
もし、最近離婚なさった方がいたら
「ごめんなさい」は少しで大丈夫!
とお伝えしたいと思います。
そして自己評価が下がらないように
もっともっと自分を大切にする生き方を
また新しく始めましょうね
ともお伝えしたいです。
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