生きる歓びを感じたい

ちょっとした普通の奇跡

奇跡ってほんとにあるんだろうか?と考えたことはありませんか?

子供のころは無邪気に「お菓子を好きなだけ食べられる奇跡」や「魔法使いにお姫様にしてもらう奇跡」を夢見たりしましたが(笑)、大人になるともっと切実な奇跡を望みました。

奇跡なんかないと思っていたこともありましたが、私はあると思えるようになりました。

奇跡で楽になりたい

大人になって、特に介護の果てに両親とも亡くなってしまい、家族もなくて、仕事もうまくいっていなくて、恋愛も失敗して、疲れ切ってしまっていたころ、私は「奇跡が起きないかな」と思っていました。

そのときの私にとっての奇跡は「苦しみも悲しみももう二度とない」と確信できることだったり、
「私は素晴らしい人間で誰からも愛される」と自信を持てたりすることでした。

そして、ある朝、目が覚めたら突然にそういう自分になっている!ということが、私にとっての奇跡でした。
同時に心の奥で「そんなことあるわけがない」とも思っていました。

そのころはちょうど心理学を学びはじめたころだったので、先日のブログに書いたように、「こころ日記」をつけたり、自分がどういう心のフィルターを持っているのか探したりしていました。

※先日のブログ→「何度でも人生を咲かせるために」

でもそういう努力をしていても「ある日突然スッキリ幸せ!」と思えるようなことはなかったので、それが奇跡とは思えませんでした。

おまけに私はずっと昔から、「私はいつかホームレスになるかもしれない」という恐怖心を持っていました。
会社で働いているにも関わらず、いつかすべてを失って、居場所さえなくなるんじゃないかと思っていたのです。
それが怖くて一生懸命働いているといっても過言ではありませんでした。

奇跡は思ったのとは違う方向からやってくる

ある夜、心理学の講座を受講した帰り道でした。
駅に向かって同級生と一緒に歩きながら、私は彼に「ホームレスになるんじゃないかという恐怖心がいつもある」と話しました。

そんな話を人にしたのは初めてでした。
言っても本気にしてもらえないか、笑われるか、ありきたりな慰めを言われるかだと思って、話せなかったんです。

そうしたら、その友達はまじめにあっさりと「そしたらうちに来ればいい」と言いました。
「え?!…!」
彼の奥さんも隣にいたのですが、にこにこしてうなずいています。

そのとき私は「そうか。考えてもみなかったけれど、そういう手もあるな。」と思いました。
そして、そんな風に考えた自分に驚きました。

それまで、誰かに助けてもらおうなんて、そんな迷惑なことはできないと思っていたのに、「自分が思いつく方法以外の生きる道もたくさんあるのかもしれない。」と思えたのです。

自分がこれしかないと思っている方法だけではなくて、まったく違う考え方もあるんだ。
それを自分が受け入れられればできるんだ。
人に手伝ってもらったっていいんだ。

そう思えると、もう絶対に行き止まりだと思っていた道に、いくつも枝分かれしている新しい道が現れたような気がしました。

私にとってそれは奇跡でした。

そしてそれからはいつの間にか、ホームレスになるという恐怖が消えていました。

「ない」世界から「ある」世界へ

「ない」と思い込んでいたものが、「ある」ことに気がつくと、一瞬にして住んでいる世界が変わることがあります。

「もう打つ手はない」から「まだ選択肢がある」へ。
「誰も愛してくれない」から「きっと愛してくれる人がいる」へ。
「私には才能なんかない」から「それでも応援してくれる人がいる」へ。


どんなに苦しい状況にいても、「ある」と思えると、また歩き出すことができます。
歩き出せばきっとまた新しい「ある」に出会うことができると思います。

「何もしないのに、ある日突然完璧な幸せになっている」という私の望んだ奇跡はかなっていませんが、それでもちょっとした奇跡というのは、思わぬ形で結構身の回りにあるものだと今は思っています。

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