49歳から人生を咲かせたい

やりたいことが見つからない

「やりたいことが見つからないんです。」
そんなお話を聞くことがよくあります。

特にやりたいことがなくたって問題ないのですが、なんとなくつまらないと思っている。

親にも「ゴロゴロしてないで何かやれば?」って言われるし、友達にも「これ一緒にやらない?」と言われるけど、なんだか気が乗らない。

ちょっとやってみたい気もするし、やってる人は楽しそうだけど、コロナ禍だから出かけられないし、お金もないしなあ…。

私はこれをやりたいんです!と宣言して、それに向かって一生懸命がんばってる人を見ると、とてもえらいなあと思うし、イキイキしていてまぶしい。
でも私とは違う人なんだと思うし、自分がそんな風になれるなんて思ったこともない。

そんな気持ち、わかるなあと思う方は結構いるのではないでしょうか?

「やりたいこと」が「やりたくないこと」になることもある

私はむかしむかし若いころ、いろいろ趣味がありました。

布に触っているのが好きで、パッチワークやったり、カーテンを縫ったり。
サッカー観戦が好きで、ひいきチームのユニフォームを着て、遠くのスタジアムまで遠征に行ったり。

ところが離婚して「さあ、1人で働いて食べていかなくちゃ!」という状況になった後、「やらなくちゃならないこと」がいっぱいで、「やりたいこと」は徐々に遠のいていきました。

パッチワークって、とっても手間と時間がかかります。
そんなに長い時間、家で座っていることができなくなりました。

サッカーはテレビで見れば勝敗はわかるけど、それだけではあんまりおもしろくなくなってしまいました。

そんな私を見ていた実家の母が、ある日、私に依頼してきたんです。
手紙に型紙と写真が同封されていました。
「私、こんなバッグがほしいの。パッチワークで作ってちょうだい。」

今思えば、仕事仕事で乾いた生活をしている娘に、好きなことをして潤いのある時間を過ごしてほしいという母の思いやりだったと思うのですが、その時、その依頼は私にとって無理難題で、拷問のように感じました。

冗談じゃない。こんなに忙しいのを知ってるくせに、少しでも時間があったら眠りたいのに、パッチワークなんてできっこないじゃない!寝ないでやれっていうの?
母に対して怒りを感じました。

結局、そのバッグはとりかかることもせず、型紙と写真は裁縫箱に突っ込んだままになりました。

あんなに好きだったことが、「やりたくないこと」になってしまったんですね。

「やりたいこと」を封印しているかもしれない

では私は本当にやりたくなかったのでしょうか?

本当はやりたかったんです。

時間の余裕も心の余裕もなかったので、やりたくてもできない。
やりたいやりたいと思い続けるとつらいので、自然に心はそれを心の奥底に封印したりすることがあります。
つらさを感じなくするために。

せっかく封印している場所に触られると痛いので、母に怒りを感じたのです。
「そこは痛いから触らないで!」

そこには、本当に望んだ暮らしではないことをしている残念さとか、母に「ごめんなさい、私は良い娘ではありません」という罪悪感とか、いろいろな痛みがありました。

やりたいことが何もないと感じるとき、あなたの心のどこかに何かを封印してしまっていることがないでしょうか?

本当はあれがやりたかった。
本当はこんな生活がしたかった。

やってみたけど、うまくいかなかった。
やってみたけど、人に批判された。

まだやってみてないけど、きっとうまくいかないに決まってる…。

たくさん我慢して我慢して、我慢しているんだと感じるのがつらくて封印してしまった中に、あなたが本当に大切と思っているものが眠っていることがあります。

人に触られると痛いかもしれません。
自分でもどこに封印したか、わからなくなっているかもしれません。

でも、そっと探してみてください。

すぐに封印を解くことは難しいかもしれないけれど、かすかでも「これかも」と思えることがあったら、きっとそれです。

みんなに褒められるようなことでなくても良いし、お金を稼げるようなことでなくても、将来につながる何かでなくても良いんです。

それをしていると、なんだかワクワクするような、心があったかくなるような、それをしている自分を想像すると、ちょっと良い気分になれるようなこと。

それはとても大切なあなたの「やりたいこと」です。

「いつか」はきっと来る

先日、断捨離していて20年ぶりに、母に頼まれたあのパッチワークの型紙と写真が出てきました。
バッグをほしがった母はもういません。

「うわー。お母さん、ごめんなさい。」もうそれしか言えない。

でも、パッチワークはやらなくなってしまったけれど、母が私に与えようとした「潤いのある時間」や「手しごとの時間」を今は持てるようになりました。

バッグは完成しなかったけれど、私の「いつか」は来たんだなと思っています。

これは実は趣味の話だけではなくて、例えば、「本当はあの人にごめんなさいを言いたかった。」とか、「本当はあの人に愛してますと伝えたい。」とか、本当はやりたかったけれど、まだできていないことも同じです。

ちょっぴり痛くて触れたくないところの下に、あなたの本当にやりたいことが眠っていることがあるのです。

もし「今はとても無理」という場合でも、「いつかやろう」と思ってみてください。

大切なものを大切とわかっていると、その「いつか」はきっとやってきます。


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